先日、体育座りは腰痛を引き起こすという記事について書きました。
さらに色々と調べていたらNHKのNEWS WEBにこんな記事がありました。
↓↓↓
なんと!
海外では体育座りをしないそうなんです!!
学校での先生の話を聞くときの姿勢を聞くと・・・
アメリカ→胡座
ペルー→寄りかかり
オーストラリア→片膝
コロンビア→寝そべり
これは一例であり、その国の人が皆そうかと言われたら違うと思いますが
それにしてもコロンビアの寝そべりはびっくりしました!!
コロンビアでは座り方は自由で立っててもいいそうです
大事なのは聞く姿勢ではなく、話す内容を聞いているかどうか。
では、なぜ日本は体育座りが浸透しているのでしょうか?
これは57年前に国の手引きで紹介され、今もなお引き継がれています

理由は集団としての行動を秩序正しく行うためのものだということです
しかし、文部科学省によればこれはあくまで事例であり、必ずしもやらなくても良いとのこと。
その後も記事は、体育座りへの警鐘や理学療法士からの視点、山口県にある学校の事例などなどへと続きます。
では、そもそもなぜ体育座りが広まったのか・・・
なぜ未だに体育座りが一般的になっているのか・・・
それには文科省による教育の定義・目的を紐解くと理由が隠されていたんです!
Wikipediaなどで調べると
教育とは、
「教え育てること。その人の能力を高めていくこと。」としています。
しかし、文部科学省では教育の定義は行なっておらず、目的のみが書いてあるんですね!!
「第1条(教育の目的)教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」
文部科学省
国家及び社会の形成者として・・・
つまり、日本国という国にとって必要な教育が目的となっているように感じます。
もちろん社会に出たら人に一般的なこととして(これも何を一般とするのかにもよりますが、)
どこにいっても大小ありますがルールがあったり、
輪を掻き乱すようなことは好ましくないとされていますし、
道徳的なところも守る必要があります。
ただ、教育は誰のための教育なのか。
僕は息子が二人いますが
国のために役に立つ人材になるために、社会に出た時に大企業のルールに馴染めるために
そんなことのためには学んで欲しくありません。(そんなことって言っても大丈夫かな?笑)
自分たちがやりたいことをやるため、夢を叶えるために
自分たち自身のために学んで欲しいと思います。
あなたは小学校に行って何が得られましたか?
そんな質問をされたら何と答えるだろう。
僕は多分、ただ行っていた。
卒業文集に将来の夢なども書いたりもしたが
それは遥か彼方のかつあやふやな想像のレベル
雲というよりも霧みたいなものだ。
将来、こんなことがしたい、こんな人になりたい、こんな風に生きたい
そんなことは全く考えませんでした。
卒業文集に書いた夢も(たしかコックさんと書いたような・・・)
別に書いたからと言って大人たちからアドバイスがあった訳でもなければ
体験したりする機会もなかったし
自分から仕事や将来について調べるほどのエネルギーもその時はありませんでした😓
本当の意味での教育とは何でしょう?
話が逸れましたが、日本の教育の目的は国家及び社会のためのもの。
そのためには集団的に、秩序的に、
「前へならえ」の一言で規律正しくなくてはいけない・・・
「体育座り」でないと人の話を聞いてないとみなされる・・・
間違っているというつもりはありませんが
自身の身体に違和感を感じてまで体育座りをする必要があるのかどうか💦
これは別に教育の現場に限ったことではありません。
一般企業でもデスクワークが続いて就業中は席から立てない何ていう声も聞きます。
最近ではコロナの影響などもあり、
産業理学療法や健康経営なんていうことが以前よりも言われています。
朝の就業前や勤務中に手を休めて体操の時間を設けている企業も珍しくなくなってきていますね!
企業でもこんな働きかけをしているのだ。
これから身体が作られる子どもたちのことを考えるならば
今あるルールにも変更が必要なのではないでしょうか?
日本の学校教育において身体のプロである理学療法士という視点から
パラダイムシフトを起こしたい!!
そのためには今ある大人たちが
子どもたちの親がみんなで社会を変えて行かないといけないのかもしれません。
最後に
YouTuberでもあり、僕自身がメンターとも仰ぐ伊木ヒロシさんの動画でもこんな風にありました。
是非、こちらの動画も見てみてくださいね😁